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今日は、子どもが自立できる歳になったなら、「お母さんを卒業しよう!コドモナンカタタキダシチマエ!」という提言です。
お子さんが就職された後、家に一緒に住む予定ですか?
私自身は、「自立」といえば家を出て、自分の力で暮らしていくことだと思っているんですが、世間的には、必ずしもそうではなさそう。
先ほどのお母さんのように、多くの方が「結婚するまでは、家にいてほしい」と願っているようなんですね。
世の中を見渡してみると、条件が許せば社会人になってもずっと実家暮らしをしている人の割合はかなりの数に上るようです。
雰囲気で語っていてもしょうがないので、根拠になる資料を探してみました。
以下は、「親と同居の未婚者の最近の状況(2016 年)」 という、 総務省統計局が出している資料の中のグラフですが、これをみると、20歳〜34歳の実に45%が親と同居している、ということがわかります。
この数値、皆さんはどう思われますか?
私にしてみるとちょっと衝撃の数値でした。
2012年をピークに、少しずつ割合は下がっているようですが、半分近くの若者が親と同居しているわけです。
えっ!そんなにですか?
20歳からの統計ですから、学生が相当数含まれるとしてもですよ。
親と同居することには経済的な理由、介護のためなど様々な理由があるでしょう。
しかし、私自身は成人した子どもが親と同居することは基本的に不自然なことだと思っています。
親と同居することが、本当に子どものためになっているんでしょうか?
そこに親のエゴは含まれてないんでしょうか?
そして、一番私が言いたい事。
お母さん、いつまでお母さんやり続けるの?
もし、いつまでも成人した子どもが家にい続けた場合、その子が何歳になろうと「母と子」の関係は変わらないわけですから、ずーっとずーっと子どもの面倒を見続けることになります。多かれ少なかれ。
「私はそれがいいの、家族の世話をするのが楽しいし、生き甲斐だから」という人もいるかもしれません。
でも、それが子どもの自立を妨げているとしたら?
成人したら今度は自分が新しい家庭を築いていくのが本来の形だと思いますが、実家の居心地が良すぎたら、誰が好き好んで一からしんどい思いをして新しい居場所を作ろうと思うでしょうか。
「結婚するまでは」と思っていた同居が、下手したら自分が高齢者になっても中年の子どもの面倒をみる事態になるかもしれませんよ。(ソレハ カンベン シテホシイ…)
近々子どもさんが進学する、就職するなど転機を迎えるご家庭の皆さん、
子どもの自立はまだ先だけど、その時になって慌てないようにしたい、という皆さん。
そこんとこ、一緒に考えてみましょう。
Contents
恥ずかしながら、我が家の事情。
我が家には、一つルールがありまして。
それは、
「高校を卒業したら、進学しようが就職しようが家を出る」
というものです。
我が家がすんでいるのは、京都の奥~~~の方にある小さい町(からさらに車で30分)ですから、進学したくても通える距離に大学がない。(もちろん専門学校もない)
というわけで、進学したら自動的に家を出る事になります。
そして、学生が家を出る事になるんですから(仕送りはしますけど)、就職してお給料をもらう身になれば自分の面倒は自分で見るのが当たり前。
という理屈から以上のようなルールを設けております。
さらにもう一つ、我が家では
「一旦家を出たからには、再び戻ってくることはまかりならん!」
というルールも作っています。
…もちろん、盆暮れ正月には戻ってきていいんですよ。「わしの目が黒いうちは、二度とうちの敷居はまたがせん!」ということではありません。
単に再び同居することは、許しませんよ、ということです。
まあ、田舎ですしね。就職先も少ないし、そもそも帰ってきたくないでしょうけれども。
たとえ、我が家から徒歩5分のところに就職が決まったとしても、住むところは別々ですよ、と言い聞かせています。
子どもたちは、小さな時からずっとそう聞かされているので、そういうもんだと思っているようです。
長男は「そうは言っても、子どもが帰りたいといえば帰らせてくれるんじゃないの?」と思っていたみたいで、事あるごとに
「俺は、就職は家の近くで探す。」と(半分冗談めかして)言っていました。
しかし、私たち両親がその度に「へ〜、どこでアパート借りるの?」「帰って来たくても就職するとこないで」とか「許さん」と繰り返していたのでとうとう諦めました。
そんな前例を見ているので、後に続く子どもたちも「家に戻る」という選択肢は全く考えていないようです。
今は三男が高2なので、日々、
「1年半後には家を出るんやで。自分で自分の面倒を見るんやで。今のうちに最低限の家のことをできるようになっとかないと、あとで困るで」
と言い聞かせています。
そのかわり、地球上のどこで生活しようと自由だし、私たちの体が不自由になったから面倒見に帰ってこい!とも絶対にいわない。と決めています。
これを友達にいうと、みんな「ほんとに?」「さびしくないの?」と口々に聞いてきます。
そして、「子どもには帰ってきてほしい」と言います。
さびしい?
そりゃ、子どもを巣立たせた直後はさびしいですよ。昨日までいた人がいなくなるんだから。
ぽか〜んと、心に穴があいたような気になります。
でも、「さびしいから、子どもに帰ってきてほしい」と思うのは違うんじゃないかな。
と、常々私は思っているわけです。
しかも、ずっと子どもが家にいたら、私はこの先ずっとお母さんを続けなければいけないじゃない?!
とっとと、子どもを追い出しちゃったらいいんです!!
親の役割ってなんだろう
親の役割。
子供が小さいうちは、そんなことじっくり考える暇なんかありませんでした。突然目の前に現れたむき出しの命を、とにかく自分の力で守るんだというその一点だけ。
ああ、私って動物と同じだ、と思いました。
我が子を少しでも傷つけそうなやつが来たら、牙をむき出して威嚇しまくってました。(勝手に抱っこして泣かす身内とかね。)
とにかく5体満足に生まれてくれればそれでいい。
病気しないで元気に育ってくれればいい。
勉強なんかできなくても、優しく育ってくれればいい。
そうみんな思ってたはずなんです。
(これは最低ラインかな?親というのはどんどん欲が膨らんでくるものですからね)
「うちの子、勉強できないからね〜、いい大学なんか入れないわよ。」
なんて外で言いながら、心の中では
「でも、心の優しい子に育ってよかった」
と思ってると思うんです。
素晴らしいじゃないですか。
あなたの子育て、大成功じゃないですか?
何を持って子育て終了とするかは、ここではおいておくとして、
ここまで来たら、親の役割は本来終了ですよね。
子どもが生まれたときに感じたように、私たちも他の動物と同じだとするなら、
子どもが自分で生活していけるようになった時点で親としての役割は終わります。
その後はもう、子ども自身が自分の人生の中で、自分を磨いていけばいいのです。
よく頑張ったじゃないですか、自分!
一人の人間を、ちゃんと社会に出せるまでに育て上げましたよ!
親の役割は終わっているのに
やっぱり子どもに家に帰ってきてほしい?
そんな中、冒頭に出した統計の資料ですよ。
20歳~34歳の未婚者の実に50%近くが実家暮らしをしているという結果。
私の周りでも、「子どもに帰ってきてほしい」という人はたくさんいます。
特に女の子がいるご家庭なんかだと、一旦進学のために家を出すけど、卒業して戻ってくる事を心待ちにしてる、というパターンが多いですね。
また、田舎なので「後継ぎ」問題が絡んでくるお家は、長男さんが、いずれ地元に帰るからという前提で仕事を探してたりします。
そうじゃなくても地元で就職して欲しい、と思っている親は多いです。
街中にすんでいるご家庭は、さらに同居が多そう。
田舎の方では、進学するために一旦家を離れる必要があったり、就職先がないため、どうしても家を離れざるを得ない状況がありますが、その点、学校も就職先も身近にたくさんある都会では、子どもが家を出るきっかけさえないと言えますね。
ごく自然な流れで、結婚するまでそのまま同居、というのが当たり前になっているのでしょうか。
いや、いいんです。同居することが悪いんじゃありません。ご家庭それぞれに事情もありますし。
ただね、子どもが自分の力で生きていける状況があるのに、このチャンスをみすみす逃す手はないんじゃない?と思うわけですよ。
子ども的にも、お母さん的にも。
ここでえい!と頑張れば、お互い新たな展開が待っているんです。
その方が、面白くないですか?
子どもの可能性を信じようよ。
せっかく子どもが自分の力で生きて行こうとしているのに、
「家に戻っておいで」「そのまま家にいたらいいよ」なんていったら、
その子の可能性をせばめている事になると思うんです。
ほら、もしかしたら、ここで踏んばって追い出しておけば世界に羽ばたく大人物になるかもしれないじゃないですか。(いや、その、ま、あんまり大きいこと言ってもアレなんですケド…)
そうはならないにしても、日本全国(世界だって)どこへだっていけるし、そこで、人生を変えるような出会いがあるかもしれないですよ。
それに、何と言っても親の役割はもう、終わってるんだから。
子どもを家に引き留める意味はもうないんじゃないでしょうか?
子ども自身は、どう考えるかわかりませんよ。
そりゃ、仕事もして、家事全般全部一人でこなして…という生活と、
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仕事だけしてりゃ、上げ膳据え膳で洗濯も掃除も何もかもお母さんがしてくれる、という生活だったら後者の方が楽ちんですからねえ。
だけど、子どもが「自分の人生を生きる」ために、自分でやっていく事が必要なのに、両親の「戻っておいでよ、上げ膳据え膳させてあげるよ」という誘惑は害でしかない。
「よし、やろう!」と思っても、心の中は自分でやっていけるのか不安でいっぱい。
そんなときに「家から通ったらいいよ~、学生の時と変わらないよ~」と耳元でささやかれたら、自分の「やるぞ!」の気持なんか、どこへやら、ですよ。
運命学的に、実家にいたままでは絶対に開運しない星の下に生まれた人もいるらしいですよ。
ていうか、子どもって生まれた瞬間から、親とは別人格です。(この記事で、それについてくどいほど書いています。)
開運しない星の下に生まれた、とか以前に、一人前になったら親とは離れて自分の力で生きて行くのが自然なんじゃないでしょうか?
この後は、自分の人生を楽しむ時間。
それに、それにですよ。
私たち、今まで十分にお母さんをやってきたじゃないですか。
もう、「お母さん」をいう役割を卒業したっていいころですよ。
ではないはずです。
いろいろありますが、本当のところは
です。
いろいろな役割を果たしてきました。これからも果たしていく役割は当然あります。
ですけど、もう、ここでお母さんの役割はお役御免にしてもらってもいいんじゃないでしょうか。
やったー!これからは、もう子どもの予定に振り回される事もないし、やたら量の多いお弁当を用意する必要もないし、ご飯を食べたかどうか心配しなくてもいいし、一回袖を通しただけのセーターを洗濯機に入れられて「そんなにしょっちゅう洗うもんじゃない!」とつっかえす必要もない。
私は自由だーーーーーーー!(まだ夫がいますけど、それはまた別のお話で)
と、私なら諸手を挙げて喜びますが、なかなかそうもいかないお母さんもたくさんいますよね。
でもね、「お母さんを卒業する」のって実はとても大事なことなんですよ。
それは、これから自分の人生を楽しむという「自分のため」でもありますし、「子どものため」でもあるんです。
ここからは、なかなか「お母さん」という役割を卒業できないお母さんたちに、ちょっと背中を押せるようなことを書いてみたいと思います。
なぜお母さんを手放せないの?
きっと、子を持つ誰もがわが子の成長を喜び、さらに大きく羽ばたいてほしいと願ってると思うんです。
なのに、大きく羽ばたくどころか、実家か、実家の半径○メートル以内に住んでほしいと願ってしまう。
全く相反することを願っていますよね。
どうして親は子どもの可能性をつぶすような事を願ってしまうんでしょうか?
寂しさ、という理由
もし、子どもに家に残ってほしいと考える理由が
・子どもが家を出て行って、後に残るのは、人生の後半戦を迎える夫婦だけ。そうしたら活気も無くなるし、そもそも「子ども」という共通の話題がなくなったら、会話することもなく、困る。
・今まで夢中で子どものためにできることをやってきたけれど、それがなくなったら、何に力を注げばいいのかわからない。
というようなことだとしたら。
これらは、お母さん自身の問題であって、子どもを使って解決する問題ではないですよね?
今まで家にいた子どもがいなくなる。それはさびしいです。家の中ががら〜んとしてしまいます。
私の周りでやたらペットを飼い始めるお宅が増えましたが、軒並み「子どもがいなくなってさびしいから」という理由でした。
そうですよね。今まで子どもが中心で家庭が回ってきてたんですから、それがなくなった後の生活のことを考えると、ガックリきちゃう。というのもわかります。
お子さんのことを一番に考えて一生懸命やってきたお母さんほど、このガックリが大きくなるでしょう。
それは、わかる。十分すぎるほどわかる。
でもね。
だからと言って、その寂しさを埋めるために子どもを引き止めるのは違うと思いますよ。
何度も何度も言いますが、子どもは生まれた瞬間から別人格であって、親の所有物ではありません。
もし、少しでも両親の「私の寂しさを紛らわしてほしい」というようなエゴが子どもを引き止めているとしたら。
それはやる気に満ちあふれた子どものエネルギーを、両親が吸いとっている、ということになります。
子どもを家に引き止めることで、両親は「さびしいから、家にいてほしい」という欲求を満たされて満足しますが、その満足は子どもから吸い取ったエネルギーが形を変えたものです。
エネルギーを吸われた子どもには、もはや自分の力で何かやってやろう、なんていうやる気は残ってないかもしれません。
本来、親は子どもにエネルギーを与える立場です。
それが、子どもからエネルギーを奪ってしまったら、子どもを応援するどころか邪魔をしているのと同じになります。
それって、望んでることではないですよね?
自分の存在意義がなくなるような気がする
親って、長年子育てをしている間に知らず知らず、子どもに依存してしまうところがあると思うんです。
自分の人生を、子どもに乗っけてしまうというか。
子どもにオールインしてしまうというか。
子どもを立派に育てることが母親の人生の全てになってるんです。
私=お母さん
の図式ですね。
そうなると、子どもが離れて行くことで、「お母さん」という役割がなくなってしまい、自分自身が積み上げてきたアイデンティティが崩壊してしまうような、大げさに言うとそんな気持ちになってしまうので、子どもを手放せなくなるのでしょう。
だからお母さんであり続けようとするんです。
何年も何年も、自分の生活のほぼすべてを子育てに費やしてきてるんですから、そうなるのも当然ですよ。
でもね、「私=お母さん」ではないんです。
お母さんは、私の役割の中の一つでしかない。
今までは、長期にわたる「○○家子育てプロジェクト」のリーダーとして中心的役割を果たしていたので、生活がそれ中心に回っていただけです。
そして、その「子育てプロジェクト」も終盤を迎えています。
じゃあ、もう「子育てプロジェクト」の中の役割だった「お母さん」も、卒業ですね。
ほら、「私」には「お母さん」以外にもいろいろな役割がありますよ。
忘れちゃいけないのが「妻」(忘れがち?)。
あとは、「娘」だったり「会社員」だったり、「ボランティア」だったり「近所のおばちゃん」だったり(当方関西人なので、”おばちゃん”に他意はありません)。
あとは、「私自身」という役割もあります。
お母さんを卒業した後には、自分で新しい役割を作りだすことだってできます。
「凄腕お家パン職人」とか「地区で一番おもしろい似顔絵作家」とか「超絶ハンドメイド作家」とか「図書館の本のこの棚の本、全部読む読書家」とか、もう訳わかりませんけど、なんでもできますよね。
つまり、「お母さん」という役割がなくなったからと言って、「私」がなくなるわけではない、ということ。
むしろ、新しい自分をみつける可能性が広がった、と思ってもいいんじゃないでしょうか。
お母さんを卒業しよう。
親って、子育てしているときは
「これだけしてやってるんだから、大きくなったら恩返ししろよ!」
なんて思いながら育ててないと思います。でしょ?
可愛くって愛しくって
「幸せになってほしい!そのためには私の命をあげてもいい」
くらいに思って育てたと思います。
そして、無事大きくなって一人前になった。
もうそれで十分じゃないですか。
縁あって親子になって、人生の一時期、お互い真剣に向き合って過ごしてきた。
悩み苦しみ、傷つき傷つけ、助け助けられ、お互いがともに成長してきた。
そして、子どもが大きくなって巣立ちをする時期になり、一緒に暮らして人生を磨く時間は終わりました。
お互い「お母さん」と「子ども」という役割が終わったんですね。
子どもはすんなり「子ども」という役割を卒業して、自分の人生を歩んでいきます。
私たちも多少の感慨を抱きつつ、ちゃんと「お母さん」を卒業しましょう。
そしてこれからは、お互い自分の人生を歩むもの同士、エールを送り合いながら過ごしていきましょうよ。
そしてそして!お母さんを卒業したあなたは、これから何をしますか?
人生100年、やっと折り返し点に立とうかというところ。
もっと自分の可能性を信じて、大きなことやってみましょうよ!
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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