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今回は「思春期を迎えた我が子との向き合い方」について考えたいと思います。
そうなんですよね〜。
子どもって、急に雰囲気が変わったりするんですよね。
ちょっと前まで、あんなによく学校や友達の話をしてくれていたと思ったのに、なんだか急に部屋にこもるようになっちゃったり。
近頃はファッションの話や芸能人の話で盛り上がったりできるようになった矢先なのに…なんて思うお母さんもいるでしょう。
子どもが思春期を迎えると、ぱったり話をする機会も減ってくるし、口を開けば腹の立つようなことばかり言うし、でも本人はなんだか悩みを抱えていそうだし…、と親として悩みが深くなってきます。
親として、子どもにどう接すればいいのか、何をしてあげられるのか。
教師として、多くの中学生をみてきた経験と、たった四人ながらクセのある我が子を育てた経験から、お話ししたいと思います。
今思春期のお子様とどう向き合えばいいのか悩んでいるお母さんたちが
「あ、ちょっと気が楽になった。」
と思ってもらえたら嬉しいです。
Contents
やってきたぞ、思春期!
とあるお母さんの話。
とうとうやってきました。
話には聞いていたけど、あれです、あれ。
最近、中1の子どもが不機嫌な顔をしていることが多かったので
「どうしたの?何か困ったことでもあるの?学校で何かあったの?何かあったのなら、お母さんが学校の先生に言ってあげるよ」
と声をかけたんです。そしたら
「うるさいなあ、ほっといて」
と言って、自分の部屋にこもってしまいました。
その後は、何を話しかけてもむすっとしているし、そもそもご飯の時以外、部屋から出てこなくなりました。
これって、いわゆる思春期、反抗期ってやつですよね?
こんなこと今までなかったので、どうしたらいいか悩んでいます…。
お母さん、あまり深刻に考えすぎないで!
毎日顔を合わせていても、思春期の子どもの急激な変化についていけなくてオタオタしてしまうお母さんは多いと思います。
でもね、それは子どもの方も同じ。
思春期の子どもの内面は、それまでの穏やかな晴れ間が嘘のように、急に暴風雨吹き荒れる荒天になり、自分でももてあますような急激な変化を起こしています。
でもそれは、幼虫がサナギになり、やがて脱皮して羽ばたいていくのと同じです。
子どもたちは大人になるために今、サナギの時期に突入しようとしているのです。
親としては、素直で可愛くて毎日キラキラしている子どものままでいてほしいけれど、それは叶わないこと。
子どもは子どものままではありません。
親として、子どもの成長を見守ってあげましょう。
子どもは自分なりにもがきながら、時に親や兄弟に暴言を吐きながら、一生懸命成長しようとしています。
「クソババア!」なんて言われたら
「誰がクソババアじゃ!まだ花の30代(40代?)じゃ!」と
本気で言い返したっていいのです。
本気で関わりながら、祈りながら、子どもの成長を見守ってあげましょう。
大丈夫、この嵐は必ずおさまる日が来ます。
思春期って?反抗期って?
少しだけ、お勉強しておきましょう。
医学的には思春期とは
「二次性徴の発現から性的身体発達の完成まで、すなわち小児期から性成熟期への移行期」
(『医学大辞典』医学書院、2009年)
とされています。
体の成長は個人差が大きいので一概に「何歳から何歳まで」というのは難しいですが、日本人の場合だいたい8〜9歳から17〜18歳に相当するとされています。
本来、体の成長を中心に考えられている思春期ですが、この時期はホルモンが大きく変動し、精神的にも大変不安定になる時期です。
反抗期は、このような精神的に不安定になる思春期に現れる一つの症状のようなものです。
思春期の子どもたちは、大人として成長していく過程で、今までの「親に与えられて来た価値観」を破壊し、「自分自身の価値観」を再構築していこうとします。
親に絶対的に庇護される立場の小児期まではそれは必要なことですが、いつまでも、「親に与えられた価値観」で生きるのは、一人の独立した人間として健全なことではありませんよね。
ですから、この価値観の再構築のプロセスは健全に成長していく上で非常に大切なのです。
この価値観の再構築のプロセスで、子どもは親に強い拒否感を示したり、反抗的な態度を見せたりします。
可愛かったあの子が、親に向かって暴言を吐いたり、無表情になったり。うーん、我慢のしどころですね。
●思春期は心と体が子どもから大人に成長する時期。
反抗期の子を持つ親が考えるべきこと
ウエルカム 反抗期!の心構えで
なぜ、思春期の子どもは親に反抗的な態度をとるのでしょうか。
結論を言うと、一個の独立した人格として成長していく過程において必要なことだからです。
今までは素直に言うことを聞いていたのに、急に反抗的な言動や態度を取られると、親としてはオロオロして当然です。
でもお母さん、まずは「反抗期は子どもが健全に成長していくために必要なこと」と自分を納得させましょう。
決して子どもは私たちを嫌いになったわけではありません。
むしろ子どもが自分のイライラや落ち着かない気持ちを、存分にぶつけてもいい「信頼できる相手」として認めてくれているのです。
もちろん、「クソババア!」と言われればカチンと来ます。
「うるせー!関係ないやろ!」と言われれば、「関係大アリや!」と言い返したくもなります。
ただし、本気でやり合うのはNGですよ。敵は決して折れたりしません。泥沼にハマる前に一歩引くことを忘れないでください。
子どもが大人として成長していくためには、自分自身の価値観を構築していくことが必要です。
いつまでも親の価値観を通して物事を見ているのでは、一個の独立した大人とは言えませんもんね。
そのために親から与えられた価値観を、一度とっぱらってみる必要があるのです。
その段階が、いわゆる反抗期。
親の言うこと、やることを疑ってかかったり、拒否したり、ですね。
そうやって、親の価値観、友達との付き合いの中で獲得した価値観、学校の価値観、テレビや本など自分で獲得した価値観などなど、様々な価値観の中から自分の意思で取捨選択をして、最終的に自分自身の価値観を構築していきます。
大丈夫、最終的にはやっぱり親から与えられた価値観が大きく影響することがほとんどです。
それなら、最初から反抗なんてしなければいいのにね。
でもね、そうはいってもやっぱり一度はそれを拒否してみる過程が必要なんですよ。自分で選んだ、と言う納得感が必要なんですね。
そのあとは、子どもは親のことを一人の大人としてみることができるようになるので、そこまで到達すれば、反抗期もだんだん治っていきます。
反抗期は、親離れ子離れのサイン。
子どもが親の庇護から抜け出そうとしている時期は、親にとっても「子離れ」する時期でもあります。
手取り足取り、子どもの横に立って導いてあげる時期はめでたく卒業です。
今まで子ども中心の生活を送って来たお母さんも、このあたりで少しずつ子どもの手を離し、自分自身を労ってあげることを考えていいのではないでしょうか。
少し、寂しいですけどね。
でも、ここで親の方が「子離れ」できないと、子どもの健全な「親離れ」ができなくなります。
反抗期に入った子どもの様子に強い抵抗を感じ、親が具合が悪くなったり精神状態が悪くなったりすると、子どもの方が「親離れ」して自立することに罪悪感を感じてしまうからです。
同じように、夫婦仲が悪くて家庭が崩壊寸前のような場合も、子どもが「自立してもいいのだろうか」と不安を抱いて心の成長にストップをかけてしまうこともあります。
反抗期がない、と言うことは「健全な成長」と言う面から見ると、良いことではありません。
子ども自身の心がそこまで成長できていない、あるいは家庭の環境が安心して反抗期には入れない問題を抱えている、と言う意味合いがあるからです。
逆に言えば、反抗期がやって来た、と言うことは子どもが「安心して反抗期に入れる」環境がある、と言うことですね。
親が子離れできないがために、子どもが安心して親離れできず、健全な成長ができない、なんてことになったら親の役目が果たせてないことになります。
子どもに安心して親離れしてもらえるよう、子離れの心構えをしておきましょう。
子どもは「別人格」と心得よ。
改めて言うことでもありませんが、
子どもは親とは別個の人格です。
両親とは、同じ遺伝子を持っているし、顔も似ているかもしれませんが、性格も考え方も、進むべき未来も違う、完全なる別の人格です。
そんなこと、当たり前よ、と思いますか?
恥ずかしながら、私はわかってなかった。
ついつい、子どもは私と同じように考えているし、私の思い通りにできるものと思っていました。
長男、次男が幼い頃、私は子育てに燃える若い母親でした。
私には理想の子ども像がありました。
それは、毎日外で泥んこになって転げまわり、虫と戯れ、パワーに溢れる子。
高校生くらいになったら、「ちょっと日本一周してくる」と言って自転車にキャンプ道具を積んで、止めるのも聞かず家を飛び出していく、好奇心旺盛で行動力のある子。
そんな子に育って欲しくて、夏休みは毎日近くの山や川に連れて行きましたし、家族でいろんなところにキャンプに行きました。
それなりに本人たちも楽しんでたと思います。真っ黒に日焼けしてね。
でもね。子どもが大きくなるにつれ、わかって来たこと。
奴ら、ガチのインドア派でした。ort
日本一周自転車の旅に出るはずだった高校生の頃には、長男はオタク、次男は無気力に。
彼らが十分大きくなってから、ようやく気づきました。
日本一周自転車の旅をしたかったのは私であって、彼らではなかった。
もともと彼らは性格的にインドア派だったのを無視していた。
勝手に期待して、思い通りにならないと怒ったり悩んだりしていたけれど、それは子どもが自分とは違う人格だと気づいていなかったからです。
幼い頃に野山を駆け回ったこと自体は、彼らにとっていい経験だったと思いますし、私自身もよく頑張った!と思いますが、下心を持ってやっていた、と言うのがよくなかったですね。勝手に失望したりして。
子どもが持って生まれた特性を、親が無理やり変えることはできません。
慎重に物事を観察する特性を持った子に「冒険心旺盛な子どもになってほしい」と思っても、それは親の勝手な期待であり、子どもの人格を認めていないのと同じです。
親子という関係は、絶対に変わることはありませんが、それでも子どもは子ども。私は私。別の人間。
子どもは親の所有物ではありません。
母親としては、妊娠中に自分の体の中で成長を実感しながら育て、この世に生み出したわけですから、「自分の分身」と言う気持ちになるのは仕方ないことかもしれませんけどね。
でも、子どもはこの世に生まれた瞬間から、別の人格なんです。
そこんところをしっかり理解しておけば、親から離れて行こうとする子どもの姿を、落ち着いて見ていられるのではないかな、と思います。
子どもは育ちたいように育つ。
子どもは親と別人格、と言う話をしましたが、これも同じことです。
子どもは親がどう期待しようと、自分が育ちたいように育っていきます。
それが健全な姿です。
親の強制力が強すぎて、子どもが自分の思うように育っていけなければ、それは子どもにとってとても不幸なことです。自分の思いを無理やり曲げさせられているのですから。
子ども自身が育ちたいように育つって、どう言うこと?と思われますか?
子どもはあらかじめ、自分の設計図を持って生まれて来ます。
ざっくりと自分がどのような性質を持って生きていくのかが決められているのです。
何かアイディアや作品を生み出すことが得意。
全体を見て、まとめるのが得意。
コツコツと物事を進めるのが得意。
情熱を持って、人を動かすことが得意。
などなど。
例えば、樹木に例えるなら、どのような種類の木になるかが決まっているようなものです。
松になるように決められた木は、桜になることはありません。
しかし、どんな大地に根をはるのか、どんな環境で育つのかによって、同じ松でも樹勢や樹形は変わっていきます。
ここで言う大地が家庭。環境はそのまま家庭や社会環境のことですね。
松として生まれたなら、その松がより健康に美しくその枝を伸ばし、葉を茂らせるように育てたらいいのに、どうも私たち親は、松を桜に育てようとしてしまいがちになるようです。
松は松として育ちます。
子どもも同じ。子どもは自分が育ちたいように育ちます。
親はそれをひたすらそれを支援する立場でありたいですね。
●その子なりの健全な成長を支援するような子育てをしよう
思春期の子どもとの向き合い方
「子どもを信じる」の本当の意味。
反抗期の子供は、親が思いもしないことをしでかすことがあります。時にそれで周りに迷惑をかけてしまうこともあるでしょう。
私自身、親子ともども頭を下げにいく、なんて経験をしたことがあります。
親も子も辛い気持ちでいっぱいですが、そんな時こそ大事なのは
「子どもを信じること」です。
さて、この「子どもを信じる」、どう言う意味だと思いますか?
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こんなシチュエーションで考えて見ましょう。
ある日、私は学校に呼び出されました。A子が何か問題を起こしたようです。
不安な気持ちで学校にいくと、担任と学年主任の先生から、「A子さんがクラスメートのB子さんのノートに悪口を落書きした」と聞かされました。
驚いて、何かの間違いではないか、と先生に確認しましたが、A子が落書きしているところを何人もの生徒が見ているので間違いない、とのことでした。
私は大きなショックを受け、急いで家に帰って、A子に学校で聞いたことは本当か、と問いました。
すると、A子は
「私はやってない。絶対にやってない。」と泣きながら訴えます。
私自身も、我が子がそんなことをするはずはない、と思いましたので、A子の「私はやってない」と言う言い分を信じることにしました。
親は子どもの言うことを信じてあげることが大切ですから。
いかがですか。
このお母さんは確かにA子さんを信じてあげました。
「子どもを信じる」って、こう言うことなんでしょうか?
A子さんのお母さんが信じたのは、A子さんの言い分です。
時には、子どもの言っていることが間違っているとわかっていてさえ、それでもなお盲目的に「子どもの言い分を信じる」ことが親の愛だ、と思っている人もいます。
でも、それは違います。明確に。
「子どもを信じる」とは、
「子どもが、自分のやってしまった失敗や間違いを受け入れ、反省し、その失敗や間違いから学んで大きく成長する力があると信じる」ことです。
子どもは、当たり前ですが、大人になるための成長過程にある人たちです。
決して失敗や間違いをしない、なんてことはありません。むしろ子ども時代は、たくさん失敗や間違いを経験して、そこから社会の一員としての生き方を見つける時期です。
そう、子どもは間違うものです。
「子どもは間違わない」と言う前提に立ってしまうと、その出来事から子どもが学び、成長する機会を奪ってしまうことになります。
前述のA子さんのお母さんは、A子さんの言い分だけを信じてしまったために、A子さんが自分のやったことを素直に認め、きちんと謝ることの大切さと、どんな行為が人の心を傷つけるのかを学ぶ機会を奪ってしまいました。
「我が子の言い分を全て信じる」ことはとても簡単で楽だし、親自身の精神を安定させるにも都合がいいので、そこに逃げようとしてしまいがちです。
それに比べて「子どもの成長する力を信じる」には、一旦、子どもの失敗や間違いを認める必要があります。それは、親にとって大変精神的な苦痛を感じることです。子どもの間違いや失敗は、同時に親の間違いや失敗ですから。
でも、ここを乗り越えることが本当に子どもを成長させるための最善のルートであり、最短のルートなのです。
その時は親も子も辛いでしょうが、踏ん張りましょう。
それができるのは、お父さんとお母さんだけなのですから。
自分の経験を子どもに当てはめない。
お父さんもお母さんも、みんな思春期を含む子ども時代を過ごしてきています。
みんなそれぞれに失敗したり、挫折を味わったり、悔しい思いや辛い思いをしてきているはずです。
そうすると、自分が子ども時代をどうやって過ごしてきたか、と言う記憶があるもんだから、ついつい「こうしたら、ああしたら」と言いたくなって来るんですけど、ぐっと我慢です。
子どもを見てると、姿形が下手に似てるから自分の相似形だと思ってしまうんですが、違うんですよ。
なんども言いますが、子どもは親と似ているようで違うんです。
性格だって違います。もちろん似ている場合もありますよ。でも親子だからって性格が同じってことはありません。
性格が違うってことは、全く同じことを経験しても感じ方や対処の仕方が違うってことです。
自分がやって効果があったことが、同じように子どもに効果があるとは限らないのです。ですから、変に自分の経験を押し付けるのはやめときましょう。
これは、思春期の子どもに限らず、すべての年齢の子どもに言えることです。
親ができるのは、あくまで支援。たまに助言。助言は助言の域を出ないこと。助言の域を出た助言(?)は、ただの押し付けです。
親が子どもにしてあげられること3つ。
ここまでずっと、「思春期の子どもをそのまま受け入れてください」と言うことをいろんな角度から語ってきました。
つまり今までしてきた子育てのように、手をかけてあげたいと思うところをぐっと我慢して、子どもの力を信じましょう、ということです。
では、遠くから見守るだけで親としては何をしてあげられないのか?と思われるかもしれません。
そんなことはありませんよ。
親として思春期の子どもにしてあげられることはたくさんあります。そのどれも親だからこそできることです。
こんなこと?と思われるかもしれませんが、心身ともに健康であるためにとても大切なことなんですよ。
具体的に見ていきましょう。
1、生活リズムを整える。
なんじゃそりゃ、今更?ですか?
たとえ幼い頃にはしっかりとした生活リズムを身につけさせていても、もはや10代の子どもたちの生活リズムを親が管理することは不可能に近いかもしれません。
わかりますよ。
ガミガミ口うるさく言って早く寝室に入らせたとしても、そのあとスマホでゲームをしようがラインをしようが、子ども次第ですからね。
でも、負けないでください。
親の責任として、子どもは夜11時までには寝なくてはならない、と言う方針を貫いてください。(本当は夜10時までに寝て、夜中の1時、2時頃に熟睡をしていないと、十分な量の成長ホルモンが分泌されない、と言われています)
形だけ布団に入って、実際には寝ないかもしれません。しかし、親としては11時には寝させたいと思っているのだ、と言うメッセージを送り続けることが大切です。
決して夜更かしを容認しないでください。
そして朝ご飯、夜ご飯の時間を決めてそれを守るようにしましょう。
生活のリズムは睡眠と食事で作られます。
毎日同じ時間にご飯を食べていると、体がそれに対応していきますから、同じ時間にお腹がすき、同じ時間にトイレに行きたくなったりします。
子どもがいくら好きに夜更かしをしていても、親の方はきちんと決まった時間にご飯を用意して、しっかり食べさせることを淡々と続けましょう。
正しい生活リズムを身につけることは生活の基本であり、一生の宝になります。
気持ちが荒れる時は、生活リズムも荒れて来るものです。逆に言えば、きちんと生活リズムを守れていれば、大きく気持ちが荒れることはない、とも言えるのです。
だから、お母さんお父さん、負けないで。
今すぐ結果は出なくても、いつか必ず「頑張ってよかった」と思う日が来ます。
2、食事に心を込める
「食事に心を込める?!毎日忙しいのに、手間かけて作ってる時間がない!」
と言う声が聞こえてきそうですね。
その通りです。わかります。私もフルタイムの仕事を持つ身です。
毎食毎食一汁三菜を用意して、出汁もしっかりとって、手間をかけて…なんてやっている時間がないのはその通りです。
でもね。
ちょっと聞いてください。
毎日毎日、私たちはご飯を食べます。
それはなんのために?
一つ目は、健康な体を作り、また日々の活動に必要なエネルギーを補給するため。
二つ目は、美味しいもの、好きなものを食べることでストレスを解消したり、心を満たすため。
実は、ご飯を食べることにはもう一つの役割があります。あまり知られていませんが、この役割がとても大切なのです。
それは、
「やる気や気力をアップさせるためにご飯を食べる」
と言うことです。
食事は体を作ったり動かしたりするエネルギー源、と言うことは常識としてみなさんよくご存知だと思います。
実は、食事は心にもとても影響するのです。
ちょっと皆さん、考えてみましょう。
「よし、やるぞ!」と言う気持ちとか、困難なことにぶつかっていくモチベーションって、どこから湧いて来ると思いますか?
友達との会話の中で?本の中の一節に触発されて?運動でストレス解消したから?
以上のどれもが正解ですが、これらはきっかけに過ぎません。
何かを始めようと思ったり、しんどいのがわかっていることに手をつけようと思うためには、体の中に相当のパワーというか、エネルギーが貯まっている必要があります。
よく、「やる気に火をつける」なんて言うじゃないですか。
その火を燃やすためのガソリンの役割をするものだと思ってください。
いくら「やる気に火をつける」きっかけがあっても、ガス欠だったら火はつきませんよね。
体の中のパワー、エネルギー(つまりガソリン)が多ければ多いほど、やる気もアップするし、困難に立ち向かう力も湧いてきます。
そのパワー、エネルギーを満たすものが食事なのです。
食事は物理的に体のエネルギーを満たすだけではありません。やる気の火を燃やすガソリン(エネルギー)でもあるのです。
朝、昼、晩と3食をきちんと食べていれば、もちろんエネルギーは貯まっていきます。ちゃんと睡眠をとることでも、エネルギーは貯まっていきます。
しかし、もっともっとたくさんのエネルギーを貯める方法があります。
それは、「心を込めて食事を用意すること」です。
食事を作る人のエネルギーを乗せて、食事を作る、というイメージでしょうか。
そんなの、どうすればいいの?と思われるかもしれませんが、何も難しいことをする必要はありません。
「このご飯を食べて、エネルギーを増やしてほしいな」と、子どもや家族の顔を思い浮かべながら食事を作ればいいのです。
ちょうど良い映像があったので貼っておきます。
映像の中で、お母さんが食事を作りながら、衣装を縫いながら「頑張れ」「頑張れ」と呟く場面があります。
まさに、こんなイメージ。
頑張っている子どものために、親ができることは限られてきます。
でも、毎日の食事作りで、子どもを応援したい気持ち、頑張ってね、という気持ちをたっぷり乗せてあげることはできます。
特別なものを作る必要はないのです。いつも作っているものでOK。
そこにお母さん、お父さんの気持ちを乗せてあげましょう。
目に見える変化はなかなか現れないかもしれません。でも、必ず子どもには届いています。
子どもの中のエネルギーの器が、食事をするごとに少しずつ満たされていくのをイメージして、ご飯を作ってあげてください。
きっと、本当に子どもの中のエネルギーの器が満タンになって、やる気やパワーに溢れる日がやってきますよ。
3、家庭を居心地のいい場にする
思春期の子どもは、不安定な気持ちを抱え、新しい価値観の世界へ一歩踏み出そうか、どうしようか迷いの中にいます。
新しい世界は魅力的だけど、何があるかわからなくて不安。ここから先は親が手を引いてくれることはないから、自分の力で進む必要がある。
新しい世界へ一歩踏み出す勇気を持つためには、軸足を置いておく場所が必要です。
その役割を果たすのが家庭です。
家庭という、自分の巣がしっかりあるからこそ巣立つ勇気が湧いてくるのです。
おかあさんやおとうさんと顔を合わすたびに、小言を言われて腹が立つけど、ここにいると安心。ここが私の居場所。
そう感じられる家庭であることが、大切です。
どうすればそんな家庭を作れるのでしょうか?
一番単純で効果がある方法は…
お父さんとお母さんが仲良しであることです。
夫婦は家庭の基本ですから。
夫婦がいなければ子どもは生まれませんし、そもそも家庭が存在しません。
家族の基本である夫婦が仲が悪ければ、その家庭の雰囲気がどうなるか…わかりますよね?
お母さんがいくら子どもと仲が良くても、お父さんとの仲が良くなければ、温かい家庭とは言えません。
逆に言えば、夫婦仲がよければ家庭の多くの問題は解決します。
両親の仲が良くて、嫌な思いをする子どもはいません。(反抗期の特殊な時期には、ねじれて「気持ち悪い!」なんていう子がいるかもしれませんが、本心ではありませんよ)
両親の仲が良いと、自分は両親の愛の結晶だと感じられますから、自然と自己肯定感が育っていきます。
子どもが両親の不仲を自分のせいだと思ってしまい、自己肯定感が育たず心を病んでしまうというのとは真逆ですね。
一般論ではありますが、両親の仲が良いと、仮に子どもが何かの弾みで非行に走りかけたとしても、大崩れはしません。
(ちょっと道を外れたことをしてみたい、と思うのは性格的なねじれ具合や、彼らの人生の一時期にそういう経験が必要だった、という要素もあるので、夫婦仲がいいからと言って道を外れることは絶対ない、とは言えません。)
子どもが心置き無く、新しい価値観の世界へ一歩踏み出すために、どうぞみなさんのご家庭を、温かい、居心地のいい場所にしてあげてください。
まとめ。
子どもがこの世に誕生した時、私たちも初めて親になりました。
そして子どもが成長するにつれ、私たちも親として成長してきました。
子どもが思春期を迎え、子どもから大人にステージをあげていこうとしている時、親である私たちも同じようにステージをあげていく時です。
反抗期で、親から与えられた価値観を壊そうとしている子どもですが、やがて自分自身の価値観を構築することができてくると、親のことも反抗一辺倒ではなく、冷静に一人の人間としてみられるようになってきます。
そうすると、親は子どもの一番身近にいる「大人」の見本となります。
その時、「私、こんな大人になりたくない」と思われるか、「毎日頑張ってるなあ。生き生きしてるなあ」と思われるかは、あなた次第です。
今までは、子どもが生活の全てだった、という人も、そろそろ自分の人生を生き始めるきっかけとして、思春期を捉えてもいいのではないでしょうか。
反抗期は、子どもから親へ送る卒業証書のようなものですからね。
寂しがる必要はありません。思春期を迎えたとは言え、子育てはまだまだ続きますよ。ただし、その形が今までとは変わるだけです。
反抗期を迎えた子どもには、「おめでとう。頑張れよ!」というエールを。
自分自身には「これから少し大変になるけど、あと少し、頑張れ!そして次は何をしたい?」というエールと問いを。
子供にとっても、親にとっても「ウエルカム!反抗期」でありますように。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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